『夏の花』 - 原民喜のメッセージから
・・・ 「私はここではじめて、言語に絶する人々の群れを見たのである。・・・男であるのか、女であるのか、殆ど区別がつかない程、顔がくちゃくちゃに腫れ上がって、目は糸のように細まり、唇は思いきりただれ、それに痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼らは横たわっているのであった。私達がその前を通って行くと、“水を飲ませて下さい”とか、“助けて下さい”とか、殆どみんなが訴えごとを持っているのだった。・・・
原爆直後の広島をドキュメンタリーのように感情を抑え淡々と描いた『夏の花』。“ピカッと光ったもの”に一撃を加えられた著者は、真っ暗闇が薄らあかりに変わる頃、ふと己が生きていることを覚え、“このことを書き残さねばならない”と遺書のように我々に書き残したのです。
四十数年前の遠い昔の夏、国文学の授業で『夏の花』を輪読した記憶だけはありましたが、原爆直後の惨状がここまで具体的でリアルに表現された内容であったことはすっかり忘れ去っていたものの、8月がくるといつも私は与えられた大きな宿題を遣り残しているような気がしてなりませんでした。 8月6日、9日の広島、長崎の原爆記念日、そして8月15日の終戦記念日、またその前後に行われる様々な行事によって過去の痛ましい出来事が風化することを押し留めてはいますが、しかし 投げかけられている様々な問題が解決に向かっているでしょうか。日本が戦争に突き進んだ原因やそれを遂行していったメカニズムは単純でないにしても、 痛ましい過去からどれだけ真摯に学び、平和構築のために政治や社会システムが教訓を活かしているでしょうか。そして我々の歴史観、価値観が磨かれ、利口になり、進歩しているでしょうか。
我々の企業活動は、合理的で健全な経済・社会秩序の中ではじめて安心して行うことが出来るのであり、発展するのです。
また、個人としても安心して仕事にいそしみ、生活の安定・向上を求めて一生懸命になれるのです。いわば“平和の果実”として多様な文化が育まれ、生活を楽しみ、幸せを目指すことが出来るのではないでしょうか。 しかし、今も世界中で繰り広げられる紛争、弾圧、非人道的行為は枚挙にいとまがありませんが、人類がもっと高等な解決手段を身に付けることなどあり得ないのでしょうか。2009年4月のオバマ大統領による『核廃絶』に向けたプラハ宣言は、世界中の多くの人々が歓喜をもって迎えました。大きく前進するかに見えた核の問題も、その宣言が記憶の彼方に霞まない内に前進することを願っています。
戦後生まれの私は、戦争や紛争に直接の責任を負っているわけではありませんが、原民喜の『夏の花』を通して宿題を与えられた者との潜在意識がありましたので、今一度『夏の花』をおさらいしてみました。世の中が少しでも良い方向へ進むよう地の塩となって積極的に行動していくことが、宿題を果たすことだと気持ちの整理ができました。残りの人生のより多くを世のため、人のため、そして会社のために用いていこうとの思いを新たにしました。
8月の巻頭言は大変重い内容を取り上げさせて戴きました。8月は、『平和とは何か、それを構築するにはどうすれば良いのか、私たちにとって幸せとは何か、それを実現するためにどんな努力をするのか?』などを考える良い機会 ではないでしょうか。
世界観や人生観などを皆さんに押し付ける積りはありませんが、ご自分の考え方をしっかり整理しておくことは有意義なことではないでしょうか。自分の目指す方向、価値観をしっかり持って、力強く進んで欲しいと思います。将来が読みにくい時代ですが、混沌の渦に巻き込まれないように自分の羅針盤たる価値観、人生観を強く持ってポジティブに生き抜いていきましょう。